江戸末期、茅野市の各地区にあった舞台の多くは消滅して、今、残る舞台は4ヵ所。
その内、2ヵ所は、茅野市内から大門峠を越えて上田方面に抜ける古道に沿う宝勝寺と瀬神社にある。
残る2ヵ所の舞台の一つ、槻木地区の大山祇神社を訪れた。
この地区の地名“槻木(つきのき)”は、ケヤキの古名。舞台は鳥居の外側にあり、神社前の傾斜地を観客席としている。説明板によると、
・「若キ者」(若者仲間)が、江戸時代の終わり頃から村芝居を行う。
・村芝居の最も古い記録は、天保13年(1842)。
・江戸末期、文久2年(1862)に建造された舞台で、村芝居が演じられた。
・大正13年(1924)頃、柳川劇団が作られ、昭和38年頃までつづく。
・その後、舞台は利用されない状態がつづいていたが、平成25年、槻木区は、建物を修復し、回り舞台も動くように整備して、およそ50年ぶりに舞台は利用され、歌、踊り、演奏が披露された。
とある。宝勝寺や瀬神社の舞台と比較すると、泉野槻木の舞台は、大きく新しい。
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